情報の渦の中で
ステイホーム中、メディアからひっきりなしに流れてくる新型コロナ の玉石混交の情報や、医療現場からかけ離れた意見や不平不満を聞い ていたら、いつの間にか心がざわついている自分に気が付いた。影響 の大きい公共の電波が社会不安を煽った感もあり、ネットでは感染者 を特定するような噂や、クラスターの出た施設などへ誹謗中傷、風評 被害が相次いだ。
知人から、感染者の家に投石があった話も聞いた。又、感染者の勤務 先に「営業をやめろ」「〇〇支店でコロナが出たと聞いたが、感染者の 名前を教えろ」と近隣住民を名乗る人から連日電話がかかり、その対 応に何時間も要した、という話も人事労務担当者から聞いた。休業要 請されない事業者、所謂、社会生活を維持する上で必要な施設では、 社員に必要な保護具を提供し、感染防御策をしっかり講じていても、 過剰に感染を心配する一部の社員の家族(親)にも対応が必要だった そうだ。
現在、情報の入手方法は新聞やテレビ以外に様々なSNS等のツール がある。「新型コロナ」ではなく、「COVID-19」と入力すれば、最新 の医学論文や欧米の主要メディアをはじめとする各種媒体から世界の ウイルス関連情報が入手できる。しかし、中高年や子供は情報源が限 定され、情報弱者になり易い。家人・知人から、情報源も内容も真偽 不明な新型コロナ関連情報が入ってきて混乱した、と苦笑した人も多 かった。偽のニュースやメールによるInfodemicを実感した。
コロナ禍の産業医・産業保健専門職・人事労務担当者は
我々産業医も流行早期からウイルス関連情報の入手に努めた。企業活 動継続の為、日本産業衛生学会と日本渡航学会からの「職域のための 新型コロナウイルス感染症対策ガイド」は状況に応じてアップデート され、大変役立ったという声が多い。
又、日本産業衛生学会産業衛生技術部会作成の「新型コロナウイルス 感染症対策用換気シュミレーター」は、コロナ禍で会議や研修を行う 際に利用できると、とても感謝されたのを思い出す。 接触の機会を減らす為、分散型事業所では各事業所で行っている感染 防御策の画像を本部に送ってもらい、リモートでアドバイスを行った。 面談や診療も含めてオンラインに変更できるものは変更し、健診の時 期や実施方法の変更をしたところも多い。又、この機会にと、マスク を外して密になり易い喫煙所を廃止・削減しようと、禁煙推進への取 り組みを加速させた企業もある。
現場の社員から質問や直接要望を受ける担当者や安全衛生委員会に、 各種マスクやフェイスシールドの特性と使い分け、感染経路の説明、 PCRや抗原・抗体検査の特性など、本当に必要で正しい情報を、産業 医が丁寧に説明する意義は大きかったのではないかと思う。情報の渦 の中で不安に陥った人に、分かっていることと、分かっていないこと をちゃんと整理して伝え、不安の解消に努めることの大切さを改めて 感じた次第である。
常勤産業医不在の事業所では、人事労務担当者の定常外業務が非常に 増えていた。厚労省の発表や各種検査への理解、海外赴任者対応、感 染者が出た際の消毒や社員・家族への対応、社内規定の作成、出勤す る部署や社員のシフト作成、感染者情報の発表の方法とタイミング等、 ……。そこで、担当者が過重労働にならないように、夏目誠先生が yomiDr.(4月22日)に発表した、働く人向け「新型コロナストレス チェックリスト」「対処法チェックリスト」をご紹介した。私も作成 時に少しお手伝いさせて頂いたのだが、「社内ネットでも広報します」 「今日から帰宅後にコロナ話題から離れます」と、直ぐに反響があっ た。
こういう時だからこそ、専門職は良き相談相手となり、健康で充実し た企業活動の為に互いに協力し、信頼関係を醸成することができたの は大変貴重な経験となった。
難しいのは偏見への対策だった
前述の、早期に感染者の出た事業所では、某保健所に差別や偏見への 対策で何か良案があるか?と、相談したそうだ。しかし、保健所もこ の件について非常に神経を遣っているものの、特効薬はなく、苦心さ れていたようだ。日本赤十字社の「新型コロナウイルスの3つの顔を 知ろう!~負のスパイラルを断ち切るために~」も好評だった。しか し、当時、興奮気味に事業所に電話をかけてくる人や、噂に翻弄され た人達に対し、「日赤のサイト、動画を見てください」とは、事業所 側から中々言いにくかったようだ。 非常事態宣言中、最も怖い敵は ウイルスではなかったのかもしれない。
『目の前のある恐怖など、恐ろしい想像と比べたら大したことはない』 マクベスに出てくる有名な台詞だ。コロナ禍では、いつもどこかに感 謝の念を抱く、心の余裕を持っておきたい。
近年、感謝の気持ちが人間のパフォーマンスや心身の健康に与える影 響について研究が行われている。米国のGlen R. Fox博士らによると、 fMRI(※)を使った実験で、感謝の気持ちは道徳的認知、価値判断とい った脳の活動領域と相関があり、他者から善意を得た経験(感謝の念 を抱く)に伴う道徳的な認識やポジティブな感情の為の脳の回路が明 らかになったという。
こんな時期だからこそ、憂い、怒り、批判することよりも、先ず、感 謝の気持ちを抱くよう心掛けたいと思う。 『半沢直樹』の最終回、妻の名言も引用する。 「生きてればなんとかなる。生きていれば、なんとかね。」
(※)fMRIとは、従来のMRI検査による構造情報に加え、脳の機能的 な活動がどの部位で起きたかを画像で分かるようにした検査